説教抜粋

毎週の礼拝説教の抜粋を掲載しています。聖壇を飾るお花、教会の様子なども掲載します。

2018年02月04日 ( 日 ) 2月4日説教抜粋


 
 
 
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2月4日説教抜粋
2月の聖書箇所・賛美歌等
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2018年1月7日の説教抜粋
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12月3日説教抜粋

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「13あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。」これは教会の姿ではないでしょうか。教会の礼拝に臨む私たちの望むべき姿がここにあります。そして、説教の中で語られることもこのことに集約されるのです。ヤコブの手紙、聖書日課の中で今年度の中では、3回読まれました。前回と前々回では、ヤコブ書を宗教改革者マルチン・ルターが正典から外そうと考えていた文書であることを、その成立の事柄と絡ませてお話をしました。そのことは逆にルターがどれほど真剣に主イエス・キリストの十字架と復活を語ろうとしたか、その純粋さを際立たせることになりました。ルターはあくまでもローマの信徒への手紙の「わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく信仰によると考えます(ローマ3:28)。」という信仰の立場を貫くことが必要でした。それに反して、ヤコブの手紙はその半分が、人々にこうしなさい、ああしなさい、という勧めばかりで、律法の縛られているのと同じだ、しかも第2章の20節には「ああ、愚かな者よ、行いの伴わない信仰が役に立たない、ということを知りたいのか」という戒めを語る場面もあるくらいです。これでは、真っ向からパウロの意見に対立しているようなものです。ルターが聖書の正典から外したいと思う気持ちもわかります。しかし、実際には、ヤコブの手紙の著者は、信仰がどんなものであるのかということを熟知したうえで、行為の伴わない教会の信仰者たちに届くようにこの手紙を書き送ったのです。手紙としての体裁が不十分なことを考えると、手紙でもなく、周知文書として回覧した文書かもしれません。すぐ読むには適切な長さだからです。行いではなく、信仰によって神に義とされる、良しとされる、この考えは、ちょっと曲がった理解になると、行いはどうでもいいのだったら、何をしても良いのだ、何をしても罪は予め主イエスによって赦されるのなら、悪いことをしても良いのだ、という考え方が蔓延してしまったのです。これには、パウロもあきれてしまったことだろうと思いますが、そのような教会に向けて、ヤコブの手紙の著者の主張が届きます。
「13あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。」そのあとには教会のことが書かれています。病気の人は、教会の長老に来てもらって、祈ってもらいなさい、と書かれています。オリーブの油を塗ることは、儀式的なことでもあるし、治療的なことでもあったでしょう。もちろん現在の教会でもあることです。お宅に訪問することもあれば、教会の礼拝の中で、祈祷会の中で、個人のお祈りの中で、病んでいる方たちの回復を祈るのは教会の大切な働きの一つです。それは、病にはとどまらないでしょう。その方が困難や悲しみの中にあれば、癒されるよう、神の守りの中にあるよう祈るのは、教会に集う人々の務めです。善い行いによって信仰が育つのか、行いではなく信仰によって義とされるのか、という論議があるとすれば、祈りによって信仰が育ち、祈りという行いによって神に義と認められると考えても良いかと思います。それほど、教会に集く者の祈りとは大切なものです。祈りは必ず聞き届けられ、それどころか、神は願う前から我々の祈り願を知っておられるということは、福音書の私たちへの励ましであります。教会の礼拝は、祈る場所です。(牧師 中井利洋)
※お花の担当は夏堀一枝さんでした。