説教抜粋

毎週の礼拝説教の抜粋を掲載しています。聖壇を飾るお花、教会の様子なども掲載します。

2018年08月06日 ( 月 ) 8月5日説教抜粋


 
 
 
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8月5日説教抜粋
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8月5日説教抜粋
「畏(おそ)れる 恐(おそ)れない」
エフェソの信徒への手紙一 第5章21節−第6章4節
日本語を習う外国の方が口を揃えていわれることは、日本語の難しい所は、「同音異語」です。同じ発音であっても、意味が違う言葉が沢山あります。だから「ダジャレ」が一つの文化をつくりあげるくらい盛んです。外国語にも「ダジャレ」に類するものはあるでしょうが、日本語ほど目立つことではありません。旧約聖書では、「ダジャレ」に類するヘブル語の発音をカッコ書きで書いてあったりします。今日の説教題をご覧になるとお分かりのように、「おそれる」という言葉をパソコンで漢字を入力すると「おそれる」が何種類か現れます。「畏れる、恐れる、怖れる、懼れる」。「兇」という字もあります。
本日の説教題を文章にすると「畏れるから怖れない」ということになりますし、さらに付け足すと、「神を畏れると何事にも恐れることはない」ということになります。
最近この「畏れる」ということで話題になったことがあります。それは、「聖書を学ぶ会」でのこと。出エジプト記の第1章は、先ほど言いましたモーセ誕生の由来が書かれています。そこに、モーセの命を助ける多くの女性たちの話が載っていますが、その初めに赤ちゃんを取り上げる助産師たちのことが書かれています。ヘブライ人の助産師たちが、ファラオの命令に背いて、産まれて来る男の子たちの命を助けたときに「17助産婦たちはいずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにはせず、男の子を生かしておいた。」のです。神についての記述がほとんどない出エジプト記の第1章の中で、助産師たちが神を畏れていたという記述が2度出てくるのです。命を捨てる覚悟で、男の子たちの命を救ったのは、神を畏れていたからなのでした。本日の聖書箇所も「キリストに対する畏れをもって互いに仕え合いなさい。」という書き出しから始まります。           (牧師 中井利洋)
※左の写真は、8月5日主日の聖壇を飾ったお花です。担当は氏家桂子さん。右の写真は、8月2日〜3日にキリスト教保育連盟の夏期保育者セミナーで行った裏磐梯のホテル入口から撮った磐梯山です。優雅ですね。