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創立者物語
三尾 砂(みお いさご)について

創立者三尾 砂と青葉学園

  国語学者であり、ローマ字研究者である三尾砂は明治36年、香川県大川郡志度町(現さぬき市)に5人兄弟の末っ子として生まれました。
昭和3年、早稲田大学文学部哲学科を卒業。翌年中村寿美子と結婚しましたが、すでに患っていた結核が悪化し、10年近くの療養生活をしなければなりませんでした。しかしその間、砂は理想的な子どもの教育を求めたいという願いを強く持ち続け、そのために、児童心理学、また子どもの言語発達を研究し始めました。自分の子どもや近所の子どもの言葉を採録することも試みました。しかし、その言葉を分析しようとした時に、本当に役立つ日本語の口語文法がないことに気がつき、砂の研究は日本語の文法、特に話し言葉の文法へと向かっていきました。そして、その成果は、結核の病状が快復した昭和14年から発表され、国語学者として認められるようになりました。
一方、戦争の敗戦を早くから予知した砂は、敗戦後の日本を思い、将来を担う子どもの教育を現実的に考えるようになりました。一つは、戦争で孤児となった子どもを親として養育すること、もう一つは、心にあたためていた理想的な子どもの教育の実践でした。砂が考えたのは、人里離れた大自然の中での子ども達との生活と、小さな子どもでも簡単に読み書きのできるローマ字による教育でした。
紆余曲折がありましたが、三尾夫妻はその夢を終戦の翌年、昭和21年6月に実現させました。それが新国民教育研究所と青葉学園小学校の福島県の熊も出るような山奥での誕生です。
その後、子どもが増えたことによって、移転と小学校の閉鎖がありましたが、青葉学園は多くの人々の助けと、砂のローマ字教科書・国語教科書の執筆によって支えられました。
このように青葉学園の創立には、砂の国語学者や教育者としての面が深く関わっていますが、それにもまして、良き家族として子ども達と共に歩むという三尾夫妻の願いが、今も青葉学園に生きつづけていることはすばらしいことです。

 
三尾 砂と寿美子
 
三尾 砂の書


三尾 砂の著書



語り継がれる志

絵画「創立当時の青葉学園」  
   青葉学園小学校開所式前日の晩に、砂が私たちの歌をつくろうと言い出し、みんなでそれぞれ歌をつくり、作品を見せ合ったところ、砂が作ったものが「青葉学園の歌」に選ばれました。
 歌の一番に「川が流れる 音たてて」とあるのは、創立当初の園舎(鉱山の宿舎跡)の下を流れる烏川の情景です。たんぽぽ館入口に掲げられた絵画(NTT十月会・中村就一作)は、夏でも冷たく飲めるほどに清らかな川の流れで、大人と子どもが食器を洗っている光景です。
 現在の土船に移転して60年余が過ぎましたが、青葉学園の歌は歌いつがれて、創立の志が枯れることなく今も私たちの心に流れれ続けているのです。

   

青葉学園の歩みを伝えるたんぽぽ館  
   三尾夫妻は、敗戦後の日本の未来を子ども達に託し、神の愛と信仰に生かされつつ、彼らの教育と養育に生涯を捧げました。たんぽぽ館は、その三尾夫妻の歩みを伝える資料とともに、卒園生の方々の思い出の品々が展示されています。
 手前のブロンズ像は「少女と夏水仙」(金子健二作)です。夏水仙の花言葉は「あなたのために私は何でもする」です。青葉学園は創立70年余を迎えました。子ども達の心豊かな成長と希望ある日本の未来を求めてやまなかった創立者の志を忘れることなく、青葉学園の歩みを引き継いで行く決意です。
 なお、たんぽぽ館は子どもの学習室や地域交流の場としても使われています。

   



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